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川口の石仏

川口には沢山の石仏があります。信仰は今も生きており、お地蔵さんにはエプロンや花、お賽銭が絶えません。いくつかの石仏についてご紹介します。川口に石仏が作られるようになったのは、元禄時代以降です。江戸時代後半には盛んに作られるようになり、100基以上が数えられます。川口の石仏には、地蔵、庚申、馬頭観音などが多いようです。

川口の自然を守る会 最終更新 2006−05−19

倶利伽羅不動



倶利伽羅不動
口町滝ノ沢
天合峰前衛のこんぴら山中腹にあり、水源の沢を見つめている。水場を守る神として滝の側に立てられることが多く、水神としてあがめられることもある。地元滝ノ沢では蝮除けとして建てられたと言う伝承が残っている。かつてこの地では蝮に噛まれて命を落とす人が多かったが、この像を建立して以来、蝮は見掛けるが、噛まれた人はいないという。最初の建立は安永5年(江戸中期)、現在のものは明治29年の建立である。倶利伽羅不動は不動明王の化身といわれ、不動明王が左手に持つ縄を龍の形に、右手に持つ剣を龍が抱いた形になっている。倶利伽羅不動にちなんでこの谷を不動谷津と呼ぶ。この像の上に樹齢数百年、幹廻り3メートル以上の山桜の巨木が見事な花を咲かせる。春には夢のような景観を現出させる。

庚申塔



庚申
上川町森下
川口川を見下ろす土手にある。ここに正月飾りやお札が集められ、それらに火がつけられてどんど焼きが行われる。庚申信仰が絶えた後も街道の道標として、集落の守り神、賽ノ神として世相の移り変わりを見つめてき。痛みが激しいが、彫られている神は青面金剛で道教の神、手が6本あり、弓矢を持つ。頭上に日、月、雲を配し、足下に見ざる、言わざる、聞かざるの三猿を刻む。道教と日本の古代神話、猿田彦の伝承が一つになったものである。ここで行われるどんど焼きは江戸時代に始まった伝統的なもので、大きな竹の弓が立てられ、焼かれる団子は、この地で盛んだった養蚕にちなんで、新粉(うるち米の粉)で作られる繭玉である。養蚕の神(お白様)に供えた後で焼かれる

勝軍地蔵



勝軍地蔵
川口町十二社
弁天池と呼ばれる美しい池の辺に佇む。信仰は京都の愛宕山に発する。坂上田村麻呂将軍の戦勝を導いた仏として武士の信仰を集め、近くは出征兵士の無事帰還を祈った。別に仏教上で、煩悩の軍(いくさ)に勝つという意味もあり、身にまとわりつく煩悩を払う為には軍に勝つほどの決意が必要だと言う教えも込められている。地元十二社ではこの他に火防(ひぶせ)の仏として、災難除けの信仰や、痛みを伴う病気にご利益があるという。真新しい帽子とちゃんちゃこが絶えない。衣服と帽子を纏っているので見えないが、頭には兜、衣には鎧の模様が彫り込まれている。将軍地蔵と書くこともあるが、勝軍が正しいとされる。池の背後に名僧天永林達開山の龍正寺、山岡鉄舟掲額の熊野神社がある。
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