里山随想
川口の自然を守る会 五味 元 最終更新 2013−01
2005-12-10
コバノカメズルとガガイモ
今年、私はコバノカモメズルという植物を身近なところで観察する機会に恵まれました。まずこれがどんな花であるかを写真でご紹介しましょう。下の3枚の写真のうち、左端が花です。コバとは小さい葉という意味で、カモメは鳥の鴎、ツルは蔓のことですから、漢字を連ねると小葉鴎蔓ということになるのでしょう。ではなぜカモメなのかということですが、それは葉に注目していただくとわかります。葉が2枚、対生という形で出るのですが、これがカモメの飛んでいる姿に見えるます。花は暗赤色とでも言うのでしょうか、とても深みのある色をしているので、私は好きです。
花が散ると果実をつけるのですが、果実というと大げさになります。節のない豆の鞘のような袋状の実といったほうが分かりいいかもしれません。こういうのを難しい言葉で袋果というのだそうです。種子はどのように入っているのかと思って裂いてみると、中に白い綿のようなものが詰まっていました。果実の写真を見てください。下の写真で、中央が果実(袋果)です。
では、いつごろ、どのように種子を飛ばすのか、大いに興味が湧きました。そこで、毎日のように出かけて、袋果の様子を見守っていました。(と言っても、それが主目的ではないのですが・・・)そして遂に12月3日、とてもよく晴れた日、果実が割れていました。関心のない人にとっては「何だろう、あの綿毛は」というくらいにしか見えないのですが、それを見たさに毎日覗きに来ていた私はとても嬉しく感じました。袋果が割れたところの写真を見てください。下の写真で、右端が種子を飛ばそうとしているところです。
上の黒く見えるところに種子が詰まっています。これを飛ばすための綿毛はきれいに折りたたんだように、先の細くなったところまで行儀良く詰まっています。パラシュートが開くように、この綿毛が開いて、種子を飛ばし、子孫を増やしていきます。生命を育む過程で、幾度か輝きを見せてくれるその瞬間に出会えることは幸せなことだと思いました。花も良く見るときれいですが、飛んでいく種子にとっては新しい生命の輝かしい旅立ちです。 |
花の写真を撮りに行ったのは、8月でした。山肌から湧き出す冷たい水が小さな湿原を作っていました。実はコバノカモメズルはかなり珍しい植物で、この場所にしかないと思っていました。ところが、帰りに、尾根を挟んだ反対側の広い谷戸に出たとき、民家に近い休耕田に偶然、良く茂ったコバノカモメズルを見つけたのです。ぎっしりと花をつけているのですが、花の色がくすんで、散り際だとばかり思っていました。ところがどうもコバノカモメズルではないようです、アズマカモメズルではないかということで調べてみると、大変に数の少ないアズマカモメズルの変種だということが分かりました。その後、自宅近くの谷戸で白い花の正規のアズマカモメズルが見つかりました。目が慣れてくると、コバノカモメズル、アズマカモメズル、その変種というように3種類のカモメズルが揃ったことになり、これは大変に珍しいことではないかと得意になりました。 |
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アズマカモメズル |
アズマカモメズルの変種 |
更に知人から嬉しい知らせが舞い込みました。ガガイモの花が咲いているという情報でした。なぜガガイモの情報が嬉しかったかといえば、コバノカモメズルはガガイモ科に分類されているからです。わたくしはまだガガイモの花を見たことがなかったのです。ずっと以前に多摩川の観察会で、ガガイモの袋果を見たことがありました。いわばカモメズルの本家本元ということになります。早速、ガガイモの花を撮影にいきました。アズマネザサが茂り、それに負けじとばかり蔓を絡ませ、一面に咲いていました。ガガイモ科の特徴として、花の後に袋果を付け、それが初冬の頃に割れて種子を飛ばします。袋の中にぎっしり詰まっているのですが、実に軽快に綿毛を開き、次から次へと飛び出していくさまは壮観です。この綿毛の付着性が良く、いろいろな所に引っかかって、太陽の光を受けると銀の糸のように光ります。
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ガガイモは日本の歴史に最も早く登場する植物の一つで、古事記に出典があります。それによると、大和時代には”カガミ”と呼ばれていたようです。大国主命が国造りに行きずまり、美保の岬で思案にくれているとき、ガガイモの実を割ったような形をした舟に乗って沖合いから白波を蹴立ててやってくる神がありました。言葉の全く通じない異国の神でしたが、その言葉を理解できる学者がいて、この神と大国主命は力を合わせて、豊かな国を創り上げました。その神の名は少名毘古那神と呼んだが、いつの間にか姿を消してしまった。いわゆる古事記の国造り神話ですが、これは現代風に解釈すれば、”縄文文化が停滞ししたところへ渡来人がやってきて、弥生文化を伝え、その渡来人たちは帰化して、日本人の中に同化してしまった。”ということでしょう。古代人の歴史解釈は現代の歴史観とほぼ同じだったようです。古事記の原文では、渡来人の乗ってきた船を”天羅摩舟”と書き、読み方は”あめのかがみぶね”だったようです。羅摩は古代中国語で”ガガイモ”のことです。漢和辞典を引いてみると、羅摩には強精作用があり、役人が地方へ赴くとき、これを食してはならないと言い伝えられていたといいます。女色に溺れて身をしくじるからだといいます。どの部分を食したものでしょうか。日本でも山菜の案内書には珍味と記されています。また強作用も知られていたようです。そのため、隠語で男根のことを、字をひっくり返して、××と呼んでいたことは年配の方ならご存知だと思います。
実は天合峰の登山口に男根を祀る金精稲荷社があります。子どもの欲しい女性がお参りする慣わしがありました。ご神体は縄文時代の石棒で、約1.4メートルほどの長さがあります。これを地元の人は男根に引っ掛けて、ふざけた時の呼び名で××稲荷と言うこともありました。移り住んできた郷土史家がそのまま講演会などで使ったため、一時、しとやかな奥さんたちが××などという卑猥な隠語でこの稲荷社を呼ぶことがあり、こちらが赤面するようなこともありました。更に時代が進み、この石棒を盗むものが現れ、無残にもこの石棒の先端が折り取られ、なくなってしまいました。
コバノカモメズルから最後は里山・天合峰の集落に伝わる金精稲荷社まで飛んでしまいました。里山には面白い慣わしや風習があります。最後に天羅摩舟に擬せられた種子を飛ばした後のガガイモの実をごらん下さい。中央に仕切りがあり、種子は左右に分かれて詰まっています。その形から、天羅摩舟は左右に漕ぎ手のいるかなり進歩した舟だったことが伺われます。 |
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ガガイモの実の殻 |
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